和食文化学会 会長 佐藤洋一郎

 人類を襲う感染症のうち、ヒト―ヒト感染症では、感染速度は人の密度に大きく左右される。今回の新型コロナウイルスもそのひとつで、「3密」の語ができたのも密度を下げることが感染リスクを下げると考えられるからである。そして感染リスクが高まる場の一つが食事の現場である。

人類はその誕生直後から他者との協働関係の中で生きてきた。小集団内での協業とともに共食がその基礎である。やがて文明が起こり自らの食を他者に依存する「非農耕者」とその食を支える農業者、さらにその食をまかなう調理者が登場した。後者が今でいう外食産業のおこりである。食の営みは、このように人が集まる都市の誕生直後から他者を巻き込んだ営みとなった。そしていまやその営みは16世紀の「コロンブス交換」を経て全世界に広がっている。

いっぽう人類は無数の感染症に悩まされ続けてきた。ヒト-ヒト感染症の爆発的流行は人間同士の接触を制限するように社会構造と人びとの暮らしを作り変えてきた。縄文時代には、大型の中心集落が崩壊し代わって周辺に複数の小集落が形成される時期があった(佐藤編、2015)。その原因は不明だが、分集団化と遊動化が起きたと考えられる。人類集団はもともと遊動性をもっていたと考えられるので、遊動化は遊動性の再獲得というべきかもしれない。旧約聖書創世記には、神が天に届く高い塔を建てようとした人類の傲慢をいさめるのにその言語をかき乱したので人びとが散り散りになったとあるが、これもパンデミックにより人びとが分集団化し、分散していったことを比喩的に言ったものではなかったか。分集団化は交易を促進させたが、これがヒト-ヒト感染症の流行を持続させる要因にもなっている(Diamond, 2012)。

感染症と食

食を含む暮らしの営みは、これら感染症への対応の結果の総和として今のような形をとるにいたったと考えることもできる。そして今回のコロナウイルス禍もまた、われわれの食を大きく変えようとしている。感染率の高低には食文化だけでなくいくつもの要因が複合的に関係していると思われるが、食の営みが生存そのものであることを考えると、新型コロナウイルスの流行を少しでも抑える「新たな食生活」の提案が求められる。ただし、全国一律な「提案」がトップダウンになされることに違和感を覚えるのは私だけではないだろう。そもそも食文化など生活文化は生活の中から出てくるもので、誰か偉い方々が机上で議論して生まれる性格のものではない。その意味では、「3密を避ける」など一般的な注意事項はともかく、「食事中はおしゃべりを控える」「横に並んで座る」など、「箸の上げ下ろし」にまで口をはさむような提案はなかなか定着しないだろう。そもそも、食べるとは共食することなのだ。共食の場から会話を取り去るなど、考えられないことである。

外食のありかたをめぐって

 「3密」回避や外出自粛の要請は、外食産業を直撃した。WHOのStay home(WHO)は、食の場面での分集団化を促進する措置ともとれる。食は、家族という最小の単位での営みに収れんする方向へと動く。もし感染がさらに拡大すれば、政府や自治体がどのような施策を講じようと人びとは外食を控え内に籠るだろう。流通も大きく変わるに違いない。

いま、外食の在り方を根本から考えることが求められている。外食とは何なのだろうか。人はなぜ外食してきたのだろうか。むろんその答えは一つではないが、先の分集団化と可動化が一つのヒントとなるだろう。近未来的には、分集団化は店舗の小規模化、差異化などをもたらすだろう。可動化は、たとえば火事が多かった江戸の街で屋台が流行ったことにもあらわれているが、今様にいえばキッチンカーや移動店舗にあたる。あるいは、多くの外食店が試みつつある中食化もその表れのひとつで、外食と中食の垣根はどんどん低くなってゆくだろう。中食には、出前、仕出し、持ち帰り、配達などさまざまな形態があった。「デリバリー」という新出のカタカナ語ではその内容を表しきれない。

伝統は試練の場に立たされている。とくに和食文化全体が衰退傾向にあり、和食産業にとっては厳しい局面である。ただし日本列島を含む東・東南アジアは歴史的にも災害多発地帯であった。伝統はこれら局面を乗り越えて形づくられたものであり、過去の「歴史に学ぶ」ことが今こそ必要であろう。

和食文化の再評価

 わたしは広い意味での和食文化の中に、感染症対策に有効と思われる伝統や慣習があると考える。たとえば属人器と膳の文化である。「穢れを忌避する神道的清浄観」(本田、1997)から生まれた取り箸は、「組重」(飯田、2020)とも呼ばれてハレの日の食卓に上った。客人をもてなす際の白木の食器、割り箸の文化なども、日本社会に伝統的に受け継がれてきた清浄観を基礎に置くとみてよい。清浄観が神道的かどうかはともかく、取り箸や銘々の箸は、家族内だけでなく共食の場での感染拡大を阻止することに有効なように思われる。いっぽう、手づかみの文化は、それ単独で、あるいは匙とフォークの文化と併存しながら世界各地に展開した。その背景には手こそ清浄という宗教観が関与しているといわれるが(一色、1987)、感染症に関しては否定的に作用したようである。ともかく、和食文化の叡智を結集し公表するポータル・サイトとなることが本学会の使命の一つであると考える。

料理再考

 Stay homeが浸透したことで家庭内での調理の機会が増えたようだ。その影響は様々だが、料理の楽しさを再確認した人も男女問わず多かったように感じられる。料理は、人類が発明した3つの知(知術、芸術、身体技術)を動員して行う所作である。つまり料理は3術の鍛錬に格好の場を提供する。とくに子どもの全人的発達に格好の場となるだろう。現代は調理の営みが軽んじられる、あるいは否定的に捉えられがちな時代であるが、料理がもつ意味を食の原点に立ち返って見直してみたい。とはいえ、料理の技術の習熟には長い訓練を要する。外食産業には、家庭への技術移転という役割が期待される。Stay homeは料理のプロから提供された技術を取り入れつつ家庭の味を守る機会と受け取りたい。料理屋の技量は客が決めるともいわれる。料理する市民の力で街の外食店の技量向上に貢献できれば、とも思う。

引用文献

飯田知史、『七十二候を味わう京料理』、光村推古書院、2020

一色八郎、『日本人はなぜ箸を使うか』、大月書店、1987

佐藤洋一郎・長田俊樹(編著),『農耕起源の人類史』、京大出版会、2015

本田総一郎、『箸の本』、柴田書店、1997

Diamond, J. “The World until Yesterday”, Penguin Group, 2012

WHO Advice for public 2020, 2020年7月19日閲覧.

https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019/advice-for-public2020
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